2025年6月16日
理事長の信夫です。私が遺言執行者に指定されている方の遺言執行が完了し、遺贈先である公益社団法人ハタチ基金様に寄付させていただきました。
この方との遺言作成時のエピソードを少しお話したいと思います。
この方は、当団体ブログの2024年7月18日に掲載させていただいた方です。
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ある病院の看護師から、
「退院して施設入居する方なのですが、支援者がおらず、施設入居ができない」と相談がありました。
私と、連携している高齢者等終身サポート事業者はすぐに病院へ面談に伺い、ご本人の意向を確認しました。
ご本人は、「私には親族は居るが、頼みたくない。私の死後のことも含めて、信頼できる方々にお願いしたい」とのことでした。
私は、遺言や死後事務委任契約を公正証書で作成すれば、死後対応と遺贈寄付ができることを伝えました。
同時に、高齢者等終身サポート事業者と身元保証契約を結び、施設に入居されました。
入居後、遺言作成に向けて打合せをしていく中で、ご本人は、
「私が亡くなった後、遺った財産は、東日本大震災で被災した方々、特に子供たちの為に使ってほしい。信夫さん、寄付先を探してほしい」と仰いました。
私は、いくつかの寄付先の情報を集め、再度ご本人と面談し、それぞれの団体のホームページを一緒に見ました。
ご本人は、「この活動は素晴らしい。ここに寄付をお願いしたい」と、公益社団法人ハタチ基金様を選ばれました。
そして、ご入居されている施設で、無事に遺言および死後事務委任契約の公正証書を作成することができました。
数日後、ご本人が私に話があると仰るので、施設に伺いました。
「信夫さんが、私の最期の手続きをするのよね。とにかく綺麗にしてから、火葬してください」と仰るので、私は、『おくりびと』の納棺式を進めました。
ご本人は、「納棺式には信夫さんも立ち会って、私が綺麗になっているか確認してね」と、私たちに想いを遺されました。
その後もご本人は、必死に生き抜くために、ご自身で探された医療保険外治療を積極的に受診されたり、大好きな映画鑑賞を楽しんだりしながら、自身の死を受け入れ、力強く生きていらっしゃいました。
数カ月が経ち、施設での生活が難しくなったため、緩和ケア病棟のある病院に入院することになりました。
入院して3日目の朝、私たちNPOに連絡が入りました。
「遺言を少し書き換えたい。できますか。」
私はすぐに病院に向かい、その途中で公証役場に連絡を入れ、書き換えたい旨と日程調整を行いました。
病院でご本人と面談すると、こうお話くださいました。
「この病院の医師も看護師も、皆さん私のことを本当によく考えてくれている。『無理しないで、穏やかに過ごしてください』という言葉に、とても気持ちが楽になった。少し、この病院にも財産を遺したい。」
私は、「遺言の書き換えはできますが、体調は大丈夫ですか」と尋ねると、
「医師からは、体がつらいのであれば、今日の夕方17時から強めの薬を投与しましょうと言われている。公証人の先生は来ていただけますか。」
私は、今日の17時なら公証人の先生が来ていただける旨をご本人に伝えました。
するとご本人は、「薬の投与を18時からにしてもらうよう、主治医に話をするわ」と仰いました。
17時、公証人と私たちは再度ご本人と面談し、遺言公正証書の書き換えを無事に完了しました。
車いすに座っていらっしゃったご本人は、「良かった。ありがとう」と仰いながら、病室に戻られました。
私がご本人と生前お会いした最期の時間でした。
その後、ご本人の意思に基づき、『おくりびと』による納棺式、火葬式、納骨式を行いました。
そして、遺贈先の病院への寄付を行い、残りの遺産を、公益社団法人ハタチ基金様に寄付いたしました。
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公益社団法人ハタチ基金様の事務局の方と面談し、改めて遺言者の方の想いをお伝えしました。
事務局の方からは、「東日本大震災で被災した子供たちの為に、有効に使わせていただきます」とのお言葉を頂きました。
また、代表理事から感謝状も頂戴しました。
遺言者の方の想いが、死後こうして実現しました。故人もきっと、喜んでいらっしゃることと思います。
近いうちに、公益社団法人ハタチ基金様と私たちで、故人様のお墓にご報告に行って参ります。
継ぐサポ 信夫