2024年4月5日

わずか8日間の出会い


理事長の信夫です。わずか8日間の出会いでした。

今年2月28日(水)夕方、
連携病院の看護師からNPO法人に連絡がありました。

「今日の午前中に検査結果を聞きに来た高齢患者様。
予後が短く、このまま入院になりますが
本人は身辺整理を何もしてきていません。
どうすれば良いかと不安になり『NPOに相談したい』と仰っています。」と。

私は直ぐに看護師に連絡し、明日の午前中に伺うと伝えました。

2月29日(木)10時、病棟にて面談。
ご本人は穏やかな中にも、不安げな様子が見え隠れしていました。
私は家族構成や今の想いをお聞きしました。

「なんでこんなことになってしまったのか、兄に申し訳ない」
「一度家に帰って、兄に説明しないと」
「一番上の兄にだけ財産を遺したい」

一番上のお兄さんにだけ財産を遺すには、遺言書が必要です。
私はその場でお兄さんに連絡し、スピーカーにして三人で話しました。
お兄さんは、遺せるなら遺言は遺した方が良いと仰っていました。

お兄さんも高齢で、遠方に住んでいるため、
3月4日13時に病院に来ることになりました。

電話を切った後、ご本人は
「4日まで生きていられるかな。
でも兄には迷惑かけたくないから4日までがんばるか」

私は、その場で自筆証書遺言原案を作成し、自筆で遺言書を遺す提案をしました。

ご本人が書き始めて間もなく、
「だめだ、力が入らない。やっぱり無理だ」

やはり自筆での遺言書は難しい。
そこで、公正証書での遺言作成を提案しました。
私は、
「4日に遺言公正証書作成できるよう手配します。」と告げ、
ご本人も、
「兄にも会いたいし、がんばるよ」と仰ってました。

当日まであと4日。

その日の午後、
役所に走り、お兄さんに連絡し、必要書類をかき集めました。
公証人にも連絡し、4日にどうにか病院に出張できないかお願いしました。

翌日の3月1日(金)、
他の予定をキャンセルして、遺言公正証書原案作成に必要な書類を集めに走りました。

そして、3月4日(月)13時。
病院のエントランスで、お兄さんとお会いしました。
お兄さんから書類を預かり、公証役場に連絡をして、18時に公証人に病院に来てもらうことになりました。

3月4日(月)18時
病院にて、遺言公正証書の作成が完了しました。
ご本人の体調は以前にも増して辛そうでしたが、お兄さんが傍にいたので笑顔もありました。

ご本人は、
「あぁ良かった。本当に良かった。皆さんありがとう」
と仰っていました。

その後、3月5日(火)、6日(水)とお兄さんが面会され、
3月7日(木)夕方、ご逝去されました。

お兄さんから電話をいただき、
「弟の想いも遺言に遺すことができ、本当に感謝しています。
何よりも遺言を遺したいという気持ちがあったから、今日までもったんだと思う。
それによって私も弟に会うことができた。本当にありがとう。」
と仰っていただきました。

翌日、看護師からも感謝の電話をいただきました。
「私たちではできない患者様の支援に、大変助かりました。
私たちはご本人が死に直面した中、少しでも気分が良くなるようにと常に考えています。
引き続きよろしくお願いします。」

ご本人、お兄さん、看護師、私たちの8日間でした。

継ぐサポ 信夫

 

都民シルバーサポートセンターロゴ
〒154-0004
東京都世田谷区太子堂5-16-9 太子堂壱番館1階
令和5年度世田谷区提案型協働事業実施事業者  
日本エンドオブライフケア学会会員  
東京都保健医療局「がんポータル」がん患者支援団体